今年は「マクベス」をやります。
宮城 聰

 若手俳優と中野真希が『サロメ・ピュベール』と格闘する中、中堅〜ベテラン勢は他劇団への客演やワークショップ参加などでいろいろと養分を吸収しています。
 昨日は、静岡芸術劇場に行って、美加理がタイトルロールを演じる『サド侯爵夫人』を見てきました。昨秋『熱帯樹』をやったばかりですからにわかに三島づいてしまったわけですが、何度見てもこの芝居、戯曲の完成度の高さに圧倒されます。言葉のみずみずしさ鮮烈さにおいては5年早く書かれた『熱帯樹』がまさっていますが、そのぶん『サド』には揺るぎない構築美がそなわっていて、見ながら僕はブラームスの第4交響曲を想起してしまいました。三幕の後半、壮大な劇の伽藍が完成に近づいてくるところはあの交響曲の第4楽章のパッサカリアを思わせます。様式の美しさがひとりの人間の暗い情熱と結びついて漆黒の輝きを放つ、あのあらがいがたい祭壇!
 敢えてブラームスにたとえれば『熱帯樹』は第2交響曲でしょうか。しかしブラームスが50歳を過ぎて到達した境地に三島は40年で行き着いてしまった。その5年後には死ぬ しかなかったのがうなずけます。ブラームスが、自分の中のメロディの泉が涸れたあと、形式の美に深く深く掘り進み、そして若い頃書いたメロディを何度も使い回しながら生き延びていった、「第2」から「第4」までの道筋を、三島は『熱帯樹』から『サド』までのわずか5年でたどってしまって、・・・もうその先は、「滑稽」になるしかなかった・・・
 崇高から滑稽へ。
 ブラームスが第4の後の10年間滑稽にならずに死ねたのは、彼が生きたのが19世紀だったからでしょうか?それとも、ワーグナーという、生まれながらに滑稽と崇高をひとつに呑み込んでいた怪物を終生のライバルとすることができたからでしょうか?
 実はク・ナウカの今年の秋公演はワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』。いよいよ三島からワーグナーへと、「狂気の歴史」を遡ります。でもそれは「近代」という「精神病院の塀」に囲まれた天才がいかに狂いながら発光したか、というテーマを巡る遡行なので、そこに突っ込む前にどかんと視野を広く取っておかないと、オタッキーな道行きになる危険があります。
 そこでシェイクスピアです。ク・ナウカとしては、旗揚げの『ハムレット』以来ですから、11年目のリターンマッチです。
 しかも『マクベス』。今回、久しぶりに阿部一徳が動きます!どかどかと足ふみ鳴らす響きで新利賀山房を揺るがします!劇場の周囲にまだ残る雪も体温で解かします!

 僕にとって『マクベス』は初めてではありません。かつて相鉄本多劇場のプロデュース公演で、作家の矢作俊彦さんと組んで、ベトナム戦争中の横浜を背景に『本牧マクベス』という作品に仕上げたことがあります。マクベスが手塚とおる、夫人が明星真由美、レノックスが堺雅人でした。その時の台本(ほぼ僕がリライトした)のフロッピーが自宅で発見されたので読んでみたら、いやあ青いのなんの。あのころより多少なりとも自分が前進していることがはからずも確認されました。(当時はまだ「キャノワード」を使ってたんで、そのフロッピーを今のマッキントッシュで読むのも手間がかかりました。時の流れ、です。)
 『本牧マクベス』のときは、シェイクスピアを自分なりにやる、というときに、黒沢明の『乱』のように、あるいは川上音次郎のように、時と場所を自分にとって実感できるところに移す、という方法で済むと思っていたわけです。しかしそれは本当は「解釈」でもなんでもない。シェイクスピアから何を読んだか、ということとは関係がない。
 もちろん、僕は「解釈」という名の下にすっかり原作とは違う「書き下ろし作品」をやってしまうようなタイプではありません。そういう劇作家がいても良いけれど、それは少なくとも演出という仕事ではない。演出という仕事の一番エキサイティングな部分がそれでは消えてしまう。演出の面 白さは、「他者」である作家と出会うことにあるんですから。原作を自分の世界にすっかり取り込んでしまうのではなく、作家の作った世界と、赤の他人として向きあうこと・・・その摩擦から生まれる火花が「解釈」だと、いまは思うようになりました。
 『マクベス』は、利賀村で見ていただきたいと思い、東京公演を組んでいません。でも利賀での発表の前に、プレビューを少々公開いたします。利賀には行かれない方、早めに見てみたい方は、小茂根のサイスタジオにおいで下さい。(小劇場の機能も備えた最新の稽古場です。建築も面 白くて、1階にはエスノな雑貨屋さんと自然食レストランがあります。)
 ク・ナウカの「解釈」を、お楽しみに!

「ク・ナウカニューズレター9号より」
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