Director's notes
古代ギリシャがユーゴを空爆する
宮 城 聰

 ギリシア悲劇を読む時、僕はそこに、古代ギリシア人に巣食っていた2つのコンプレックスを感じないではいられません。うちひとつは僕にとってのギリシア悲劇の魅力の素となり、もうひとつは僕にとっての「ギリシア悲劇の限界」をなすものです。  ひとつめは北方から地中海沿岸に移動してきた古代ギリシア人たちにとっての先住民族―この豊かな自然に抱かれた地域で大地の恵みを食料として生きていた人々―を律していた“女系社会”あるいは“女性原理”へのコンプレックスです。  ギリシア人たちはそもそも農耕とは無縁で、「自然のきまぐれ」に屈服することを嫌い、「普遍性」への強い志向をもっていたのでしょう。それがあの合理主義の隆盛と人類史上の金字塔たる「法治国家」を導きました。女性という、みずから「自然の気紛れ」を体内に宿すものを完全に政治の外へ追い出し、男だけのデモクラシー、世界最初のデモクラシーを樹立したのです。ギリシア悲劇の上演においても、出演者・観客のすべては男で占められています。  当然ギリシア悲劇においては、「男性の特権たる‘合理的な考え方’‘法による統治’」がいかに優れたものか、また女というものがいかに感情に支配された、合理的対話のできない生き物であるかが強調されます。  しかし、同時にギリシア悲劇ほど、その劇の主役が女性登場人物によって占められているものもありません。  男が男だけの前で演じた芝居で、女性登場人物の果たす役割は、「理屈では既に乗り越えられたはずの、非合理の逆襲」といったものです。現代の「先進国」社会はすでに男性原理によるシステムが骨の髄まで染みこんでいて、社会進出をめざす女性は自分からその「男性的システム」のほうに体質を合わせる努力をし、どれだけ男と互してのしあがっていくかという闘いを強いられます。しかし古代ギリシアでは、女性が国家の運営から完全に排除されたにもかかわらず、当の男たちはまだ「女がまつりごとを身をもって引き受けていた」時代の記憶を消し去ることができず、いつも「女の原理」(「肉体」あるいは「感情」)の反乱を恐れ、また詩人が常に市民(男)たちにそれを思いおこさせていたわけです。  男性原理の輝かしい成就を誇るのと表裏一体に、いま自分たちが足に敷いた女性的なるものがいつ何時マグマのように吹き出さないとも限らないという謙虚な畏怖を持っている点―これが僕にとってギリシア悲劇の「今日的意味」、現代社会が忘れたものを思い出させる光なのです。  もうひとつのコンプレックス、それは古代ギリシア人の、アジアに対するコンプレックスです。  言うまでもなく古代の文明はアジア(当時はエジプトもアジアに含まれていました)からヨーロッパに伝播しました。ギリシア人たちは、そもそも自分たちは文化的後進国だったということは知っているわけです。しかし、ギリシア人たちはその「シビライゼーション」においてアジア諸国を追い越し、戦争で打ち負かします。そしてデモクラシーを成し遂げた自分たちと比べて、アジア諸国の野蛮な政治体制を嘲笑います。  ギリシア悲劇にはそのアジア差別も色濃くあらわれています。しかしことさらに「自分たちは文明国、アジアは野蛮国」と強調しないではいられない心理の裏に、そもそも自分たちの文化はアジアから渡ってきたものだという劣等感が横たわっているような気がしてなりません。  そして、地中海世界の母系社会から父系社会への転換は古代ギリシア民族の南下にともなって長い時間かかっておこなわれたのに対し、アジアとの戦争とその勝利は、ギリシア悲劇の作家たちにとって「ついこのあいだ」の出来事であり、それだけにアジアへの差別はかなり生々しい形で表現されています。  いかがでしょうか。こう見てくると僕には、紀元前5世紀のギリシアが、明治時代の日本に重なって見えてしょうがないのです。日本人が朝鮮人韓国人に対して抱いた差別意識の裏には、日本の文化がそもそも朝鮮半島から伝えられたものであることへのコンプレックスがぴったりくっついてはいないでしょうか? そしてアジアで一番先に近代化をなしとげた明治日本が、東南アジア諸国に対してよりも朝鮮・中国に対して一層居丈高な態度をとりたがったのは、その劣等感の有無に左右されていたとは言えないでしょうか?  メデイアの祖国は黒海の東岸、ギリシア人からみればディープなアジアです。彼女はギリシアから大船を仕立てて略奪にやって来たイアソンという軍人に恋をし、祖国を捨ててイアソンの船に乗りギリシアへと嫁いできた「アジアの花嫁」です。そこでク・ナウカの『王女メデイア』では、時と所を明治の日本に置き換え、メデイアを朝鮮半島から来た花嫁と読みなおしてみました。「脱亜入欧」を成し遂げつつあった明治の日本・・・。  こうすることで原作の台詞は驚くほど生き生きと響くようになり、その魅力と問題性は現代の観客にダイレクトに届くようになったと思います。  メデイアという存在は古代ギリシアの市民(くり返しますがそれは全員男でした)にとって二重のトゲを持っていました。まずそれは女であり、しかも合理的には説明されえない「魔術」の使い手である。同時に彼女はアジアの出身で、ギリシアの文明が成立する以前の古怪な知恵を体に染みこませている。  ギリシア市民男性を支える「良妻賢母」であることが求められた当時の女たちの中で、メデイアはひときわ危険な存在であり、ことによるととんでもない力を持っているかもしれない、という恐れをかきたてる存在です。それはまさにかつての唐十郎作品、例えば『海の牙』などのヒロイン像に通じるイメージに他なりません。近代化によって獲得した合理的な知恵が、もしかしたら薄っぺらな「猿知恵」なのではないか、近代化の過程で切り捨てられたものの中に、実はもっと深い知恵が秘められていたのではないか、という(半ば意識下の)不安が、こうしたヒロイン像を生み、その「逆襲」を舞台上に実現させてゆくのでしょう。  シャーマニズムが民衆的支持を受けつづけている韓国に対して、そうした呪術性を完全に排除した日本人が抱くこの2つの感情―軽蔑と畏怖―は、今日もなお消えることがありません。  このように僕らは『王女メデイア』に「近代」をめぐる二つの問題を見いだしました。近代化に伴って女性的なものがはっきりと男性的なものの下位に固定されるという こと。そして近代化を先に成し遂げた国が周辺の地域に対して持つ抑圧性。  古代ギリシアのデモクラシーは、ギリシア市民全員が兵であり、周辺諸国と戦うのは市民全員であるという平等性の上に成り立っています。これは「国民皆兵」の上で「四民平等」が成り立った明治日本に当てはめられます。国民全員が兵隊であり等しく外敵と戦うのだから国民はみな平等である、となったとき、当然兵隊になり得ない者=女性は下位に固定されます。農業や商業においては男女の能力差はほとんどなく、したがって江戸時代まで武士以外の階級では実質的に女性はある程度の権利と権威を持っていたものが、明治とともに、日本の近代化とともに女性は「男を支えるもの」に固定されていくわけです。そしてそのとき男は、生理的に変化の激しい女性の、その変化の「自然への近さ」を尊重する感性を失い、むしろ生理的変化に左右されないロゴス(たとえば法律)を自然より上位に置き、その担い手にふさわしい者を優れた人間だと思いこむようになる。こうして男はいよいよ自分の優位を疑わなくなる。  理路整然と思考して結論を導くこと。これが出来る者はみな等しく優れた者である。いったん自分たちがその段階に達すると、こんどはそれ以外の価値観で生きている人間が「野蛮人」に見えてくる。これが「近代化」のもたらす周辺地域への抑圧性です。古代ギリシア人は、ギリシア語を話す者=論理的に話し合える相手、を「ヘレネス」と呼び、ギリシア語を話さない外国人を「バルバロイ(野蛮人)」と呼んで区別しました。そして「お互いヘレネス同士だぜ」という連帯感によってたくさんのギリシアのポリスが「デロス同盟」という軍事同盟を結び、アテネがその盟主として周辺諸国との戦争を指揮しました。  NATOとそっくりではないでしょうか?  いま、アメリカにとっては「話しあえば理解しあえる」国と、その「合理的考え方が通じない国」、の2種類がある。イスラムの原理主義などは後者の代表です。  メデイアが祖国を捨てて追ったイアソンという男、このイアソンこそ「近代」のメタファーのように見えてきます。かつて日本の侵略を受けたアジアの国々が、それにもかかわらず日本のあとを追って近代化に邁進する。  ク・ナウカの『王女メデイア』には、99歳の小野小町のように、2500年生き続けてしまったメデイアが傍観者として現れ、舞台を眺めつづけます。2500歳のメデイアがときおり漏らす言葉は、おのずからハイナー・ミュラーの『メディアマテリアル』に近づいていくのです。  古代ギリシアが「いま」の始まりでした。  そしてメデイアは、2500年間、生きつづけています。