宮 城 聰 
MY FAVORITE 林家彦六
〜ひとは何に感動するのか?
 十歳にならない頃だった。テレビで落語を見ているうちに、地平線から無数の一つ目小僧が湧きだしてくる映像が思い浮かび、その光景が、実際に見たもののように脳裏に焼き付いてしまった。落語の一部にそういう場面があったわけだが、しかしどういうわけか、そのときの落語家本人の顔は頭からきれいさっぱり消え去り、どうしても思い出せなかった。
 語っている落語家が目の前から消え、語られた内容だけが強烈な映像として立ち現れる。この奇妙な体験は僕の心に魚の小骨のようにひっかかり、小さな疑問符とともに記憶の中に沈殿した。
 やがて中学2年頃から僕は落語に興味を持つようになった。これは思春期特有の、自分の居場所探しと、自己顕示欲の発露としての興味だった。人前で落語を演じて目立ちたい、落語なら自分にもやれそうだ、といった程度だ。だからその時分の僕には八代目林家正蔵(のちの林家彦六)の芸の味わいなどわかろうはずもなかったのだが、巨人にファンという「保守派」に対抗して阪神を応援するような気分で、名人三遊亭圓生ではなく、正蔵をひいきにするようになった。そしてひいきにした以上は、正蔵の落語をなるべく聴かなくちゃ、と思い、聴くようになった。
 そして3年ほど経つと、僕は正蔵の心酔者になっていた。正蔵の話芸には技術を超えた何かがあり、それは「人からうまいと言われたい」という欲を乗り越えたところに生まれたものだろうということがわかってきた。そしてそのころになってやっと、少年時代のあの体験を思い出した。あれは正蔵の落語だったのだ! 間違いない。噺家が消え、噺だけが立ち現れる。これこそが究極の落語パフォーマンスであると、突然僕は揺るぎようのない結論を手にしてしまった。
 いま演出家として僕が追い求めている究極の上演(パフォーマンス)。そのイメージのゴールにはいつも、終生長屋暮らしだったあの稲荷町の師匠が端座している。
【初出】「母の友」福音館書店 2002年9月号
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