宮 城 聰 
『メデイア』について
・・・「王女メデイア」〜スミックスホールESTA、アサヒ・スクエアA(1999年10月)
 『王女メデイア』を読んでまず僕が(いやおそらく誰もが)ひっかかったのが、夫イアソンへの復讐として母親メデイアが子供を殺す、という部分でした。普通に考えれば、子供が死んでいっそう痛めつけられるのは父親よりむしろ母親ではないでしょうか、まして母親みずから手を下したということになれば。
 ではなぜ「子殺し」が、(夫本人を殺す以上に!)夫への復讐になるとメデイアは考えたのか。
 そこでヒントになったのが、イアソンが「婿入り」するクレオン王家には男子がいず、クレオン王にとっては娘と結婚するイアソンが「跡取り」になる、という点でした。
 こうして僕が思い至ったのは、もしイアソンとメデイアの間に産まれた子供が女の子だったらメデイアは子供を殺さなかったのではないか、ということでした。
 つまりメデイアは「男から男へと家督が相続されていく」というシステムそのものへ復讐したのではないか。イアソンという男がこの「男性原理」の使いっ走りとなって自分(女)をゴミのように捨てようとしたとき、その「原理」自体を破壊しようとしたのではないでしょうか。
 2500年前にギリシアで確立された「男性原理」による統治はやがて世界中に広まっていき、その結果、千年紀を前に人類は地球という母の息の根を止めようとするところまで来てしまいました。もし人類が次の世紀にも生き延びていこうとするなら、この「母殺し」寸前の息子=男性原理による支配、をまず滅ぼさねばならないのでは?
 「母による息子殺し」は、息子が取り返しのつかない母殺しをしでかす直前の、痛切な「息子救済」なのです。
【1999年10月】
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