宮 城 聰 
Salome雑記
・・・「サロメ」〜東京デザインセンターガレリアホール(2003年1月)
 ク・ナウカのウェブサイト(www.kunauka.or.jp)に『意味を突破する』という拙文が掲載されているのですが、それは今から10年前に『サロメ』の作り方を題材にして‘二人一役’の機能を論じた文章です。ク・ナウカの『サロメ』が初演されたのはさらにその2年ほど前のことで、今から思えばそのころの僕は演出術の面では到底玄人とは呼べないレベルでしたし、さらにそのころはサロメ役のスピーカー(セリフ)を僕がやっていたのですから、技術的な稚拙さは覆うべくもなかったことでしょう。
 けれど面白いことに、『意味を突破する』で語られている理屈は、いま読んでみても僕にとっては十分に新鮮で、有効なものです。実作においては稚拙なのにどうして理屈はちゃんとしていたのかな、と考えてみたのですが、おそらく『サロメ』初演の頃の僕が「表現者としての自分を確立する」ために、他の表現者たちとの違いをたえず際だたせようとしながらものを考えたり、他の演劇人の作品すべてを「これじゃ物足りない」と感じながら見ていたからなのだと思います。芸術家に限らず、人はこうした時期を一度や二度は通過するものでしょうが、この時期の人間は実に生意気で自分勝手で、余りつきあいやすいとは言えません。しかし「俺は違うんだ!」と心の中でのべつ叫んでいるこの時期には、その「違い」を自分自身に納得させるために、ずいぶんといろいろなことを考え、アタマの中で言葉を弄しているもののようです。
 僕にとって、わざわざ百万言を弄して自分に向かって「自分は他人とはちがうんだ」と説得しつづけていなければならない時期はいつの間にか過ぎ去ったようなのですが、どこか、そのぶん精神が怠惰になったような気がしないでもありません。今回、初演版の『サロメ』に取り組む中で、(演出術を知らなかったゆえに)ひたすら考えに考えていた昔の稽古を随所で思い出したのでした。
 ただ、今回のヴァージョンが初演版と異なるのは、役者の個々の演技(セリフ・動き)を、今回ほぼすべて役者自身に任せているところです。初演の頃は役者に対して「このセリフはこう言ってくれ」「こう動いてくれ」と具体的な指定をしていましたが、やがてそうしたディテールはすべて俳優本人に任せるようになってゆきました。それは、結局のところ僕自身が、芝居を見に行くときには(戯曲や演出より)「役者を見に行く」タイプであるからかも知れません。設計図やコンセプトよりも、目の前にある生身が驚くべき変容を遂げる瞬間を心待ちにしながら、僕は劇場の客席に座っているのです。
【2003年1月】
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